
2019年1月~2月(当時31歳)にインド・ブータン・ネパールを一人旅した時の日記です。インド・ネパールビザは自分で手配、ブータンは旅行会社を通してしか行けないので、旅行会社にお願いしました。
2019年2月12日インド発~2月16日ブータン着
ブータン内滞在4泊5日 208,000円
旅行会社は3社くらいに問い合わせ、インドから入りネパールに出たいことなど要望を伝え、一番対応がスムーズでこちらの事情を汲んでくれたGNHトラベルさんにお願いしました。
旅行もとても快適だったので、またブータンに行くことがあればお願いしたい。


体力勝負、タクツァン寺院
標高約3000m、断崖絶壁。前日までこんな場所だってことを知りませんでした。
ただ、ブータンといえばここ!なので、行ってみたいなと思い外せない場所ではあったんだけど。


写真では伝わらない。
なんでこんなところに、どうやって建てたの?!
火事で焼けてしまい今建っているのは再建したものらしいけど、それでもすごい。
途中から見た寺院。


岩の上。
体力に自信のない人は途中まで馬で行けます。


そこから先もまぁまぁきつい。
左側の山に写ってる白い建物が寺院です。見えますか?遠い。
ここに来たら天国に行けるらしい。
高齢のブータン人女性も家族に支えられながら来ていました。
ご家族のサポートがあってもすごい体力だよ。
ガイドさんは最高83歳の日本人男性のガイドをしたことがあるそう。
「日本人は忍耐がある。インド人旅行者は体力があるのにまだ先があると思うと、諦める。メンタルで負ける。日本人は体力がなくても根性で登る」とガイドさんが言っている。
…わかる気がする。
近くには滝もあったけど、今は雪で覆われて全体像は見れず。


肝心な寺院の内部は撮影禁止。いつも通りの寺院。
詳しい人にはなにか違いがわかるのかもしれないけど。
この日は仏教の暦で10日、グルリンポチェ(詳しくは調べてみてください)にまつわる大事な日。
さらに年の最初の10日だということでセレモニーをしていました。
お坊さんたちがお経を読み楽器を奏で、低音が鳴り響く心地の良い空間でした。
ブータンの色んなところでみつけるコレ、ツァツァ。


亡くなった人の骨が入ってるとかいないとか。
ブータンは日本と同じく火葬が一般的。
灰になった骨は川に流すのと、このようにして各地に置くそうです。そして土へ還る。
どこにでも魂は存在してるってことかな。
結婚式はあまり豪華ではないけどお葬式は盛大にやるんだと。
最近は少しずつ変化しているみたいですが。
キチュラカン Kyichu Lhakhang


ブータンで一番古い寺院。
ここでもセレモニーが行われ、普段は閉まっている仏像が眠っている部屋にも入れてもらうことができました。
マニ車があれば毎回しっかりまわします。


ガイドさんも、もれなく熱心な仏教徒で、私もガイドさんから教わって何度五体投地したことか。
毎度お賽銭も欠かさない。私は無宗教だけどね。
農家のお宅訪問
最後は観光スポットになっているだろう農家の家もお邪魔させてもらいました。
現在では昔の農家の家を見つけるのが難しいぐらい減っているらしい貴重なおうち。








古い農具などもあってその辺のミュージアムよりも多そうな品数。
裕福なお宅なのだろうなぁ。
一番驚いたのは仏間で、家の中に本堂がある!ってレベル。
これは規模が小さくなっても、ブータンではどんな家にもあるんだそう。
アパートでも、どこでも。それだけ宗教が密接なんですね。
リビングには尊敬されている歴代の王様の写真も飾られている。
現在ブータンではお茶と言えばブラックティーだけど、昔はバター茶だったようで、そのバター茶を飲ませてもらいました。
せっかく出して頂いたけど、バター茶は苦手だな。
慣れるのかもしれないけど、塩味が濃く乳臭い。


バター茶に続いて出してくれたのはブータンのお酒。


日本酒よりも癖が少なくすっきりとしてる印象。
このお宅はホームステイも受け入れていて、一度に30人ぐらいの団体なら受け入れ可能という広さ。
最後はパロの街中をお散歩。


私がカフェラテを欲しカフェに入ったら、ガイドさんの女友達とたまたま出会い、一緒にお茶しました。
観光業に携わる人以外の人と出会えるって嬉しい。
予定にない行動を受け入れてくれるのも嬉しい。
NY在住のとっても明るくてモダンな女性だった。
感想
ブータンへ実際に行ってみて人々の幸福度はなんとなく本当に高そうだった。
短期間の旅行ではダークサイドは全く見えなかった。
遅れている部分もあったり(暖房器具ない、メインの車道以外は舗装されてない)、進んでいる部分もあったり(みんな国際的?!)。
ガイドさんの考えとしては
“インターネットが普及していいことも、悪いこともある。
ブータンの人か日本人と同じぐらい賢かったら



識字率が高い、修学率が高いという意味だと思う。
って言ってもブータンの若者英語ペラペラだった
政治(や王様)への批判も出るし、いろんな考えが生まれると思う。
今はブータン人にはそこまで考えるキャパがないから幸せでいられる。”
だそうです。
4代目の王様から鎖国が解かれ、GNH(=国民総幸福量)を国民に普及させたわけだけどそれってとてもすごいことだと思う。
もともと王室には代々この考えが受け継がれてブータンがあったのかもしれないけど、若くして王様になった4代目はいろんな国にも行って勉強したそう。
物が溢れた先進国に行ってもそれに憧れる、追い付こうとかではなくやっぱりGNHが大事って感じたってことだよね。私の解釈が合ってるかわからないけど。それってすごいことだと思う。
もっとブータンの深いところを知ったらダークな面もあるのかもしれないけど。
経済的には貧しい国といいながらも、私が空港で会ったブータン人の20歳の女の子はブータン人の彼氏がドバイで働いていて旅行しがてら彼に会いに行ったと言うし、
カフェで会ったモダンなお姉さんはNYに住んでるっていうし、貧しくないんじゃ?とも思うのでした。
インターネットがさらに普及して色んな考えを持つようになっても、一周まわってみて、やっぱり私たちの国は幸せだって感じてほしいなぁ。
先進国だから幸せっていうわけじゃないしその国に合った、その人に合った幸せの在り方ってあると思う“こんな国もあって良いよね”って個人的には勝手に思ってしまうけど。
ブータンはブータンらしく。
変わらずそのままの国を、大自然を維持してもらいたいなぁと思った。